危険生物マップ

更新 2026年10月24日

全国 / クマ事件簿 / 福岡大ワンゲル部ヒグマ事件

事件記録

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件

1970年(昭和45年)7月/北海道 日高山脈 カムイエクウチカウシ山

1970年7月。
北海道の日高山脈を、5人の大学生が歩いていました。
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の仲間たちです。
九州から遠く北海道までやってきて、重いザックを背負い、山から山へと歩く長い合宿を続けていました。
その旅も、終わりに近づいていました。
7月25日の夕方。
カムイエクウチカウシ山近くの九ノ沢カールに張ったテントのそばに、1頭のヒグマが現れます。
最初から、人を襲ってきたわけではありません。
学生たちも、その姿を珍しそうに見ていたといいます。
ところがヒグマは去りませんでした。
テントの近くに置かれていたザックへ近づき、中の食料を食べ始めたのです。
学生たちはヒグマを追い払い、ザックを取り戻しました。
これで終わった。
そう思ってもおかしくない状況でした。
しかし、その夜。
暗くなったテントのすぐ外から、ヒグマの鼻息が聞こえてきます。
ヒグマは、戻っていました。
そこから5人は、山の中を何度逃げても現れる1頭のヒグマと向き合うことになります。
最初にヒグマが現れてから、生き残った2人が麓の駐在所へたどり着くまで、およそ49時間。
5人のうち、帰ることができたのは2人でした。
※この記事は、事実をもとにした物語です。一部、想像で補ったシーンがあります。

いつ
1970年(昭和45年)7月25日〜27日
どこで
北海道中札内村 日高山脈カムイエクウチカウシ山周辺
亡くなった人
3人(18・19・20歳)
生還
2人
ヒグマ
メス・3歳ほど(資料により2.5〜4歳)
終息
7月29日 ハンターが仕留める

九州から北海道へやってきた5人

1970年7月。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人は、北海道の日高山脈へ向かいました。

「ワンダーフォーゲル」とは、山を歩いたり、自然の中で野営したりする活動のことです。

5人が山へ入ったのは7月14日。

芽室岳のふもとから登り始め、大きなザックを背負って、日高山脈を南へ進んでいきました。

山の中で何日も生活しながら歩く、本格的な縦走です。

今のようにスマートフォンはありません。

現在地を家族へ送ることもできません。

山の中から簡単に救助を呼ぶこともできない時代でした。

しかも、日高山脈は険しい山々が連なる場所です。

深い沢があります。

稜線には強い風が吹きます。

天候が変われば、あたりが霧に包まれることもあります。

そんな山を、5人はすでに11日間歩いていました。

そして7月25日。

カムイエクウチカウシ山へ向かう途中にある「九ノ沢カール」で、その日のテントを張ります。

カールとは、大昔の氷河によって山肌が削られてできた、お椀のようなくぼ地のことです。

その場所で5人は初めて、1頭のヒグマと出会いました。

テントのそばに現れた1頭のヒグマ

午後4時30分ごろ。

5人がテントにいたときでした。

1頭のヒグマが現れます。

茶色い体に、金色や白っぽく見える毛が混じったクマだったと伝えられています。

最初のうち、ヒグマは少し離れたところにいました。

学生たちはすぐには逃げず、その様子を見ていました。

1人はカメラを向けたともいいます。

九州には、野生のヒグマはいません。

遠く北海道の山まで来て、初めて目の前に現れた大きな野生動物。

このときの5人は、まだ、この出会いが命にかかわる出来事になるとは知りませんでした。

ところがヒグマは、なかなか離れていきません。

少しずつ、テントへ近づいてきます。

その先にあったのが、外に置かれていたザックでした。

やがてヒグマはザックをあさり始めます。

そして、中に入っていた食料を食べ始めました。

5人はヒグマのすきを見て、ザックをテントの中へ運び込みました。

火をたきます。

ラジオの音を大きくします。

食器も打ち鳴らしました。

人間がここにいることを知らせ、ヒグマを遠ざけようとしたのです。

しばらくすると、ヒグマは姿を消しました。

夜9時、ヒグマは戻ってきた

山に夜がやってきました。

5人は、ヒグマがもう一度現れることを警戒していました。

2人ずつ、2時間交代で見張ることにします。

そして午後9時ごろ。

テントのすぐ外から、音が聞こえてきました。

ヒグマの鼻息でした。

次の瞬間。

テントの幕に、こぶしほどの穴が開きます。

昼間のヒグマが戻ってきていました。

それでも、そのときはテントの中へ入ってくることはなく、再び姿を消します。

長い夜になりました。

5人は交代で起きたまま、朝を待ちました。

夜明け前、テントを出ようとした5人

7月26日。

午前3時、5人は起きました。

荷物をまとめ、この場所を離れる準備を始めます。

ところが午前4時半ごろ。

まだ薄暗い山の中に、あのヒグマが再び姿を現しました。

今度は、テントの近くまで来ました。

そしてテントに手をかけ、中へ入ろうとします。

学生たちは内側からポールを握り、テントの幕をつかみました。

倒されないように必死で支えます。

人間は内側から引く。

ヒグマは外側から引く。

その状態が、5分ほど続いたといいます。

やがて5人は、これ以上テントの中にはいられないと判断しました。

入口とは反対側から、一斉に外へ飛び出します。

そのまま斜面を上へ逃げました。

少し離れた場所から振り返ると、ヒグマは倒れたテントのそばに残り、ザックをあさっていました。

「ハンターを呼ばなければ」

このままでは危ない。

5人は、外へ助けを求めることにしました。

朝5時ごろ。

メンバーのうち2人が、山を下り始めます。

目的は、ヒグマのことを知らせ、ハンターを呼んでもらうことでした。

途中で、同じ日高山脈に入っていた別の大学のパーティと出会います。

事情を説明すると、連絡を引き受けてもらえることになりました。

そこで2人は、残してきた3人のもとへ戻ることにします。

昼すぎ。

5人は再び稜線でそろいました。

ヒグマに荒らされた場所から荷物を移し、新しい場所へ向かいます。

これだけ離れれば、もう大丈夫かもしれない。

しかし、そうはなりませんでした。

新しいテントにも、またヒグマが現れた

5人はカムイエクウチカウシ山の手前に新しいテントを張りました。

最初にヒグマと出会った九ノ沢カールからは移動しています。

ところが夕方。

またヒグマが現れました。

これで3度目です。

5人はすぐにテントから離れ、50メートルほど下がりました。

そのまま1時間半ほど様子を見ます。

それでも、ヒグマはテントの近くから離れません。

山の上で夜を迎える時間が近づいていました。

5人は、別の大学の学生たちがテントを張っている「八ノ沢カール」へ向かうことを決めます。

そこなら人がいる。

助けを求めることもできる。

5人はテントを残し、山を下り始めました。

背後10メートルにいた

午後6時30分ごろ。

5人は稜線から斜面を下っていました。

その途中。

後ろを振り返った1人が、ヒグマに気づきました。

最後尾を歩いていた学生の、わずか10メートルほど後ろです。

あのヒグマが、ここまで来ていました。

5人は一斉に走り出しました。

低いハイマツが広がる斜面の中で、全員が同じ方向へ逃げ続けることはできませんでした。

5人は、ばらばらになります。

やがて、悲鳴が聞こえました。

ヒグマと誰かがもみ合っているような音も聞こえたと、生き残った学生はのちに記録しています。

暗くなっていく山の中で、互いの姿は見えなくなっていきました。

この日の襲撃で、2人が命を落としました。

3人で迎えた夜

ばらばらになった5人のうち、3人は再び合流することができました。

しかし、残る2人は戻ってきません。

山はすでに夜でした。

3人は岩場へ移動します。

テントはありません。

そこに身を寄せ、夜を明かすことになりました。

ヒグマがどこにいるのかも分かりません。

離れていったのか。

まだ近くにいるのか。

確かめる方法もありません。

3人は岩場で朝を待ちました。

霧の向こう、わずか2〜3メートル

7月27日の朝。

山は濃い霧に包まれていました。

見えるのは、わずか5メートルほど先まで。

3人は午前8時ごろ、岩場を離れて山を下り始めます。

前へ進んでから、まだ15分ほどしかたっていませんでした。

霧の向こうに、何かがいました。

距離は2〜3メートル。

ヒグマでした。

また、目の前に現れたのです。

3人はその場で身を伏せました。

しかし、その直後。

1人が立ち上がり、走り出します。

ヒグマは、そのあとを追っていきました。

これが、この事件で3人目の犠牲者となりました。

残った2人は、沢を下り続けた

残された2人は、その場から離れました。

振り返らず、沢を下ります。

八ノ沢を下り続け、午前10時30分ごろには八ノ沢の出合へ。

さらに下り、午後1時ごろ、五ノ沢にある工事現場へたどり着きました。

ようやく、人のいる場所です。

そこで事情を説明し、車で送ってもらうことになりました。

夕方。

2人は中札内の駐在所へ到着します。

最初にヒグマを見たのは、7月25日の午後4時30分ごろでした。

生き残った2人が人里へたどり着いたのは、27日の夕方。

およそ49時間がたっていました。

5人で始まった山行。

山を下りることができたのは、2人でした。

山へ向かった捜索隊

学生たちが山を下りている間にも、救助へ向けた動きは始まっていました。

しかし日高山脈の天候は、簡単には捜索を許してくれませんでした。

ヘリコプターも現場へ向かいましたが、山の気流や霧のため、十分な捜索ができません。

そこで警察官、山岳関係者、ハンターたちが山へ入ります。

ヒグマがまだ現場にいる可能性があるため、捜索する側にとっても危険な状況でした。

7月29日。

捜索隊は八ノ沢カール周辺で、亡くなった学生たちを発見していきます。

そして同じ日の夕方。

現場近くに、ヒグマが再び姿を現しました。

ハンターたちが発砲し、ヒグマは仕留められました。

最初に学生たちの前へ姿を見せてから、4日後のことでした。

仕留められたヒグマ

仕留められたのは、若いメスのヒグマでした。

年齢については資料によって多少違いがありますが、3歳前後だったとされています。

解剖も行われました。

その胃の中から、人の体は見つかりませんでした。

つまり、この事件は「人を食べるために襲った」と単純に説明できるものではありません。

なぜこのヒグマが何度も学生たちの近くへ戻り、追い続けるような行動をしたのか。

いま残されている記録だけで、その理由を完全に知ることはできません。

仕留められたヒグマは剥製にされました。

現在も、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されています。

なぜヒグマは何度も戻ってきたのか

この事件を知ると、

「なぜ最初に逃げなかったのか」

「なぜザックを取り返したのか」

と思う人もいるかもしれません。

しかし、ここで忘れてはいけないことがあります。

事件が起きたのは1970年です。

現在のように、インターネットで「ヒグマに遭遇したらどうするか」をすぐに調べられる時代ではありません。

携帯電話もありません。

クマよけスプレーが一般的だった時代でもありません。

そして5人は、ヒグマが生息していない九州から来た大学生でした。

現在では、ヒグマが一度手に入れた食べ物や荷物に執着することがあるため、無理に取り返さないことなどが注意点として知られています。

しかし、それを現在の知識だけで振り返り、

「あのとき、こうすればよかった」

と簡単に言い切ることはできません。

5人が置かれていたのは、56年前の北海道の山の中でした。

「人を恐れないヒグマ」がどれほど危険なのか

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件で恐ろしいのは、1度の偶然の遭遇だけではありません。

ヒグマを追い払っても、戻ってきたことです。

場所を変えても、また現れました。

さらに人間が移動すると、その近くまでやって来ました。

野生のヒグマは、本来、人との接触を避けることが多い動物です。

だからこそ、人を恐れず、人の荷物や食料に近づくようになった個体には、特に注意が必要です。

山へ入る人にとって、

「クマを見つけた」

ことだけが危険なのではありません。

そのクマが、

人との距離をどう取っているのか。

食べ物に近づいているのか。

一度離れたあと、戻ってきていないか。

そうした行動を見ることも重要になります。

5人の大学生が残したもの

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件では、18歳、19歳、20歳の3人が亡くなりました。

3人は、北海道へ危険なことをしに来たわけではありません。

仲間と山を歩くために来ていました。

大学生活のなかで挑戦した、夏の長い山旅でした。

その途中で、1頭のヒグマと出会いました。

最初は、テントのそばに現れただけでした。

それが夜になると戻ってきます。

翌朝にはテントへ入り込もうとします。

場所を変えても、また現れます。

そして最後には、逃げる学生たちのすぐ後ろまで近づいていました。

小さな出来事が、少しずつ危険な状況へ変わっていった事件でもあります。

この事故のあと、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会は、事件の経過を詳しく記録した報告書を残しました。

誰がどこにいたのか。

何時ごろ何が起きたのか。

そのとき、どんな判断をしたのか。

悲しい事故を「怖い話」で終わらせず、次に山へ入る人へ残すためです。

あの山のいま

カムイエクウチカウシ山は、いまも北海道の日高山脈にあります。

事件があったからといって、山そのものが危険な場所になったわけではありません。

ヒグマもまた、北海道の自然の中で暮らしてきた野生動物です。

ただ、人とヒグマの距離が近づいたとき、その出会いが大きな事故につながることがあります。

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件から、56年。

当時の5人が経験した出来事は、いまもヒグマと人との関わりを考えるときに語り継がれています。

山には、美しい景色があります。

歩かなければ見ることのできない場所もあります。

けれど、そこは人間だけの場所ではありません。

野生動物が暮らしている場所へ、人間が入っていく。

そのことを忘れないこと。

それも、この事件が半世紀以上たった今に残している、大切な教訓のひとつです。

中札内村のヒグマによる人身被害

当サイトでは、この山がある中札内村周辺のヒグマ出没・人身被害についても記録しています。

現在、当サイトのデータベースにある中札内村の人身被害記録は2件です。

最も新しい記録は2019年7月です。

中札内村の記録を見る 北海道の記録を見る

出典

この記事の書き方について(どこまでが事実で、どこからが筆者の想像か)

これは、事実をもとにした物語です。一部、想像で補ったシーンがあります。日付・場所・人数・時刻の骨組みは、上の出典で確認できる事実です。場面の描写や気持ち、考察の章は、書き手が物語として補ったもので、記録に残る事実ではありません。

一次資料の本体(福岡大学の報告書、『山と溪谷』1971年6・7月号、当時の新聞)は未確認です。時刻は、報告書を再録したWebページによります。

亡くなった日は、北海道の一覧(26日に2人、27日に1人)に合わせました。報告書の再録やウィキペディアとは、誰がいつ亡くなったかが食い違います。

クマの大きさ・年齢も資料で割れています。報告書の再録には、背丈2メートルほどで肥えていたという証言があります。年齢も2.5〜4歳と幅があり、「3歳前後」としました。

氏名は書いていません。傷や遺体の状態も書いていません。亡くなった方にも、ご遺族にも、地元の方にもご配慮しています。

表紙の画像はイラストです。当時の写真ではなく、事件の再現でもありません。描かれているクマも、捕獲された個体ではありません。