1923年(大正12年)8月/北海道沼田町 幌新
いまから103年前の夏の夜、北海道の開拓地で、祭り見物を終えて家路についた人たちのもとにヒグマが現れました。それから4日のあいだに、8人が死傷します。沼田町が「日本3大熊事件」の一つとして紹介している、石狩沼田幌新事件(いしかりぬまたほろしんじけん)です。そして事件から100年後、「死亡」と記録されていた一人が、生き延びていたことが分かりました。
1923年(大正12年)8月21日の夜、いまの沼田町恵比島(えびしま)の市街で、太子祭りが開かれていました。開拓が始まってまだ日が浅く、娯楽の少ない時代です。祭りに合わせて演じられる浪花節や芝居は、人々の大きな楽しみでした。
となりの幌新(ほろしん)地区からも、20人ほどが連れ立って見物に来ていました。事件は、この一団が祭りを終えて家へ帰る途中で起きます。
聖徳太子を、職人の守り神としてまつる行事です。太子講とも呼ばれます。
最初に襲われたのは、一団から遅れて歩いていた19歳の男性でした。後ろからつかみかかられましたが、振りほどいて逃げ出します。大けがを負いながらも前の人たちのもとへ駆け、ヒグマが出たと伝えました。
しかしヒグマは、一団の先へ回り込んでいました。10代の少年が襲われ、その場で亡くなります。少年の兄も襲われ、深い傷を負いました。
残った人たちは、300メートルほど離れた民家へ逃げ込みました。炉の火を強くしてヒグマを近づけないようにし、天井裏や押し入れに身を隠します。
30分ほどたったころ、ヒグマは家のまわりに現れ、半開きになっていた戸を破って中へ入ってきました。兄弟の父親はスコップを手に立ち向かいましたが、重傷を負います。
この夜、兄弟の母親もヒグマに連れ去られ、山の中で亡くなりました。遠ざかっていく母親の声は、しばらくのあいだ聞こえていたといいます。
夜が明けると、事件は一帯に知れわたりました。その後、腕の立つ50代の猟師が、ほかの人を連れずに銃を持って山へ向かいました。この猟師は帰ってきませんでした。亡くなった4人のうちの一人です。
8月24日、幌新と恵比島の60歳未満の男性が総出で山に入りました。在郷軍人、消防組、青年団を合わせて、およそ300人の討伐隊です。
ヒグマは、この隊の最後尾に現れました。50代の男性が一撃で命を奪われ、もう一人が重傷を負います。
ヒグマは立ち上がり、なおも人に向かってきました。そこへ、軍を退いてまもない元兵士の一発が命中します。それを合図に、銃を持つ隊員たちがいっせいに撃ち、ヒグマを仕留めました。オスで、体長は2メートルありました。
兵役を終えて、地元で暮らしていた元軍人のことです。
亡くなったのは、帰り道で襲われた少年、連れ去られたその母親、一人で山へ入った猟師、討伐隊の最後尾にいた男性の4人です。
重傷を負ったのは、最初に襲われた19歳の男性、少年の兄、兄弟の父親、討伐隊のもう一人の男性の4人でした。
町に残る資料では、少年の兄はこの事件で亡くなった一人とされていました。傷がひどく、診た医師も命はもたないと見ていました。
実際には、兄は札幌の病院で手当てを受け、命をつないでいました。2023年、一家の子孫にあたる北海道放送(HBC)の通信員が、3年がかりの取材でこのことを明らかにしています。
兄はその後、樺太で洋服店を営み、6人の子どもに恵まれました。戦争が終わる少し前に北海道へ戻り、1986年、80歳で世を去っています。背中の傷は、ふさがってはまた膿むことを何十年もくり返したそうです。
ふだんは無口でしたが、酒が入ると事件のことを話しました。本人がこの事件を語った声を、50年ほど前に録音したカセットテープが1本だけ残り、いまも家族の手元にあります。
いま沼田町が公開している資料では、兄は亡くなった人ではなく、重傷を負った人の側に数えられています(2026年9月確認)。
2023年8月、事件から100年の節目に、一家の親族が北見や上富良野などから17人集まり、慰霊祭を営みました。一家で慰霊祭を開くのは、これが初めてでした。そのあと一家は、町の資料館で、先祖を襲ったヒグマの毛皮を見ています。
毛皮は長いあいだ幌新の小学校に飾られ、学校がなくなってからは幌新会館にしまわれていました。いまも「ふるさと資料館分館」で見ることが出来ます。
沼田町はこの事件のほかにも、通学途中の子どもが亡くなった事件など、町内で起きた熊害を記録に残しています。
北海道が人身事故の集計を始めたのは1962年度です。それ以降、道内では164件の人身被害が記録され、うち54件で人が亡くなっています。幌新事件は集計が始まる前の出来事なので、この数には入っていません。
当サイトが集めている空知総合振興局の2025年以降の記録では、沼田町で14件のヒグマの出没が確認されています。事件のあった幌新でも3件あり、いちばん新しいものは2026年10月です。町の市街地での出没もありました。
事件から103年。幌新は、いまもヒグマが暮らす土地です。
脚色はしていません。日付・場所・人数・経過は、下の出典で確認できる範囲だけで書いています。記録に残っていない人の心の動きは書いていません。
資料によって食い違う点があります。一つに決めず、次のように扱いました。
・重傷者の数。沼田町の資料は3人と数えています。最初に襲われた19歳の男性の大けがは町の資料にも書かれていますが、人数には入っていません。北海道放送(HBC)はこの男性を含めて4人と伝えており、本文は4人としました。
・ヒグマの体重。町の資料は200キロ、HBCが伝えた資料館の毛皮の数字は340キロです。
・年齢。亡くなった少年は15歳とも13歳とも、兄弟の両親や兄の年齢も資料ごとに1〜4歳違います。本文では「10代」「50代」と年代で書きました。
・母親が連れ去られた場面。町の資料は、逃げ込んだ家の中から連れ去られたと書いています。生き延びた兄が残した証言では、息子たちを探していてヒグマと出くわしたとされています。本文ではどちらとも決めていません。
・猟師が山へ入った日と、住まい。事件の翌日とする資料と、その次の日とする資料があります。どこに住む人だったかも、資料によって分かれます。
・一団の人数。町の資料は20人ほどとしています。5人とする資料もあります。
事件の原因は書いていません。元になった資料を、こちらで確かめられなかったためです。
氏名は出していません。資料には被害にあった人や猟師の氏名が残っていますが、本サイトは過去の事案でも氏名を出しません。遺体の様子など、事実の理解に必要のない描写も省きました。
亡くなった人にも、生き延びた人にも、ご遺族がいます。地元の方もいます。