2016年5月〜6月/秋田県 鹿角市 十和田大湯

2016年の初夏、秋田県鹿角市の十和利山のふもとで、タケノコや山菜を採りに山へ入った人がツキノワグマに次々と襲われました。40日間で7件、そのうち4件が死亡事故です。のちに「十和利山熊襲撃事件」と呼ばれるようになりますが、どのクマが襲ったのかは、いまも分かっていません。事故のあとに研究者が入って作られた調査報告をもとに、何が起き、何が分からないまま残ったのかをたどります。
現場になったのは、秋田県鹿角市十和田大湯の、十和利山のふもと一帯です。十和利山は標高991メートル、十和田湖の南東にある外輪山のひとつで、秋田県鹿角市と青森県の十和田市・新郷村が境を接する場所にあります。
2016年5月20日から6月30日までのあいだに、この一帯でツキノワグマによる人身事故が7件起きました。うち4件が死亡事故です。亡くなったのは65歳から79歳までの男女4人でした。
7人の多くは、チシマザサ——通称ネマガリダケのタケノコを採るために山に入っていました。残る2人は山菜採りとみられます。当時はタケノコの最盛期で、秋田県内だけでなく青森県からも人が入ります。実際、7人のうち4人は青森県に住む人でした。
そして、4件の死亡事故はいずれも、ご遺体がクマに食べられていました。
最初の犠牲者は、鹿角市十和田大湯に住む79歳の男性でした。5月20日の朝7時ごろに山へ入ったとみられ、夕方になっても戻らないため、家族がその日の夜に警察へ届け出ます。翌21日の朝6時55分、鹿角署員が、本人が停めたままにしていた車から約100メートル離れた地点で発見しました。
2件目は、その翌日です。5月22日の朝5時ごろ、秋田市から来た78歳の男性が、77歳の妻と2人で山に入りました。7時30分ごろ、ササ藪の中にいた男性が「クマ、クマ」と叫び、棒でクマを牽制しながら、妻に逃げるよう告げます。妻は無事でしたが、男性の行方が分からなくなりました。
男性が見つかったのは同じ日の13時16分です。ご遺体があったのは藪の中ではなく、藪に近い見通しのよい草地でした。クマと向き合ったまま、襲われる直前に藪の外へ出た可能性があります。妻の話では、大きなクマだったといいます。
この2件はどちらも、十和田大湯の熊取平という場所で起きています。2件の現場は1キロほどしか離れていませんでした。
3件目の行方不明は5月25日の朝4時ごろでした。青森県十和田市から来た65歳の男性です。鹿角署などが捜索しましたが、この日は見つかりませんでした。
その最中の5月29日、青森県新郷村から来た78歳の女性が、息子と入山して1時間ほどたったころ、しゃがんでいるところを背後から近づいたクマに臀部を噛まれます。体長120センチほどのクマでした。女性は噛まれたあと、クマの頭を蹴って逃げています。けがは全治1週間ほどでした。
この女性が、ササ藪の中で持ち主のいないリュックとヘルメットを見つけて警察に通報しました。4日前から行方不明になっていた男性のものとみられました。男性のご遺体が見つかったのは、その翌日の5月30日、11時4分のことです。
現場は、熊取平から北東へ2キロほど離れた田代平でした。ここから6件目までの事故は、すべてこの田代平で起きています。
3件目の男性が行方不明になっていた5月26日、同じ田代平で、青森県おいらせ町から来た50歳代の男性がクマと向き合っています。この人は生きて帰りました。
男性は入山前に爆竹とロケット花火を鳴らしています。それでも、急斜面の密なササ藪を下っている途中でクマに気づきました。クマは最初、斜面の上のほうにいて、目が合うとゆっくり1メートルほどまで近づいてきます。
足をばたつかせても、火のついたタバコを足元に落としても、クマはひるみませんでした。持っていたカッターナイフで切りつけてもかわされます。最後に、カッターでネマガリダケを削って即席の槍を作り、クマの顔面を数回突いたところで、クマはようやく斜面の下へ去りました。
男性は、この間おそらく20分ほどだったと証言しています。背を向けると襲ってくる構えを見せたため、その後は正面を向いたままでいたといいます。近づいてきたクマは1頭でした。

4人目の犠牲者は、青森県十和田市から来た74歳の女性でした。6月8日の朝7時30分に自宅で家族が姿を見ており、山に入ったのは8時半から9時ごろと推定されています。翌9日に家族が届け出て、10日の朝7時から捜索が始まりました。
10時過ぎ、上空から捜索していた県警航空隊のヘリコプターが、地上に1頭のクマを見つけます。ヘリは爆音と風圧を使って、クマが地上の捜索隊に近づくのを阻みました。10時30分ごろ、ローターの風圧でなぎ倒されたササ藪の中に、青いヤッケが見えます。ご遺体は10時38分に収容されました。畑から10メートルほど脇の地面に、クマによって埋められていました。
地上の捜索隊も、唸り声で威嚇するクマと遭遇しています。鹿角市役所から市猟友会に、銃による捕獲の要請が届いたのは朝8時30分ごろでした。4人目の死亡事故にして、これが最初の要請です。それまでに仕掛けられていたのは2か所の箱わなだけで、かかったクマはいません。
猟友会の4人が現場に着いたのは11時、ご遺体が運ばれたあとでした。警察も引き上げ、猟友会員4人と市の職員2人、一部の報道関係者だけが残っていた13時57分、1頭のクマがササ藪から出てきて畑の縁に立ち上がります。約150メートルの距離からライフルで2発。手負いのまま藪に逃げ込んだクマを4人で追い、計7発ほどの発砲で仕留めました。
死亡事故はここで止まりました。ただし事故そのものは、もう1件あります。20日後の6月30日、この現場から南に約9キロ離れた大清水で、両親と3人でワラビ採りをしていた鹿角市の54歳の男性が、子2頭を連れたメスグマに襲われました。驚いて尻餅をついたところを襲われ、手を振り回して大声を上げるとクマは逃げています。上半身を中心に噛まれ引っかかれましたが、会話も歩行もできる状態で病院に運ばれました。これが40日間で7件目、最後の事故です。
捕獲されたのはメスで、体長は130センチ弱、体重は推定70キロほどでした。皮下脂肪はほとんどありません。犬歯4本に欠けや異常なすり減りはなく、上顎の門歯はやや摩耗していて、少なくとも若い個体ではありませんでした。歯を採っていないため、正確な年齢は分かっていません。猟友会長は、泌乳はしていないが乳頭が大きく、出産の経験がある個体だと見ています。
胃の中は、上の3分の1が人とみられる肉片で、残りの3分の2はタケノコでした。県の委託を受けた県警がこの肉片のDNAを調べましたが、収容されたご遺体と同じ人のものかどうかまでは分かりませんでした。
体毛の遺伝子解析では、この4人目の現場で採れた体毛が、捕獲されたメスと6か所すべての遺伝子型で一致しました。一方、1人目の現場のヤマグワから採れた体毛は別のオスのもので、メスとは母子の関係でもありません。ただしその木には比較的新しいクマ棚があり、オスは事故のあとに来た可能性があります。
肝臓と心臓の安定同位体比も測られました。過去の食べ物の傾向がおおまかに分かる分析ですが、値は一般的な食性のクマと大きく変わりませんでした。
捕獲されたメスが関わったと確実に言えるのは、最後の死亡事故だけです。ほかの3件の死亡事故では、襲ったクマにたどり着ける体毛が、現場からもご遺体からも採られていません。残っていたのは、1人目の現場で採れた別のオスの体毛だけでした。
一方で、2件目で妻が目撃したクマは大きかったという情報が残っています。捕獲されたメスは70キロほどでした。別の大型個体が関わった可能性は否定できません。
つまり、複数のクマが関わった可能性も、あのメス1頭がすべてに関わった可能性も、どちらも否定できないまま残っています。はっきりさせるには、事故の直後に現場やご遺体から襲ったクマの体毛を採っておく必要がありました。そのサンプルが、どこにも残っていません。
「人の味を覚えた1頭がいた」という説明は、この事故については裏づけがありません。分からない、というのが調査の結論です。
事故のあと、クマの研究者らでつくる日本クマネットワークが現地に入り、県や市、猟友会、警察、生還した本人から話を聞いて、7件を1件ずつ記録に起こしました。そこで見えたのは、クマの側の異常さよりも、対応する側の組み立ての問題です。
動いたのは、市役所の危機管理室と農林課、県警本部の地域課と航空隊、鹿角警察署、消防署、市猟友会でした。それぞれが自分の担当を果たしましたが、機関をまたいだ情報の共有は十分ではありませんでした。こうした事故が起きたときの連絡体制が、あらかじめ作られていなかったためです。
とりわけ、ご遺体が食べられていたという事実が、すぐには共有されませんでした。食害が起きているかどうかは、次の事故が起きる危険がどれだけ高いかを判断する材料です。それが伝わらなかったために、猟友会の出動も、山への立ち入り制限も遅れました。
加害個体を特定するためのサンプルも、ほとんど残りませんでした。死亡事故ではご遺体に触れられるのは警察官と消防署員に限られますが、鹿角警察署ではご遺体の搬出が業務として優先され、体毛の採取は想定された業務に入っていませんでした。
再発を防ぐために必要だとされたのは、関係する機関の連絡協議会をあらかじめ立ち上げ、役割分担と手順を決めておくこと、そこにクマの生態に詳しい専門家を入れること、そして事故現場が県境に近ければ隣の自治体とも情報を共有することでした。この事故の被害者7人のうち4人は、県境の向こうの青森県から来た人です。

4件の死亡事故の現場は、どこも里山と言ってよい環境でした。3人目と4人目の現場は畑に接するササ藪、1人目は旧牧草地に接するササ藪です。2人目を除けば、いずれも藪に入ってすぐの場所で起きています。
もうひとつ、現場の位置を過去のクマの分布図に重ねると、はっきりすることがあります。1978年の時点で、この一帯はクマの分布域ではありませんでした。分布が広がってここに届いたことが確認されたのは、2003年までの調査です。
秋田県のクマの数についても、見方が変わりました。県内の生息数は長く約1,000頭と推定されてきましたが、2017年度からカメラトラップ調査と標識再捕獲法による推定が始まり、2020年4月時点の中間値は4,400頭という値が出ます。県はこれを、数が4倍に急増したのではなく、それまでの推定が過小評価だったと説明しています。
クマが突然増えて人を襲い始めた、という話ではありません。分布が人の暮らす側へ広がっていたことに、数え方のほうが追いついていなかった、ということです。
2016年度、全国でクマに襲われて亡くなった人は4人でした。その4人全員が秋田県で、全員がこの40日間の犠牲者です。秋田県で人身被害の記録が残る36年間に、クマに襲われて亡くなった人は12人です。その3分の1が、この一つの初夏に集中しています。
10年たったいまも、加害個体は特定されていません。特定できなかったのは、クマが賢かったからではなく、そのための手順が用意されていなかったからです。この事故が残したものは、恐ろしいクマの記憶ではなく、事故が起きたあとの40日をどう動くかという課題のほうでした。
鹿角市と米代東部森林管理署は、いまも毎年5月1日から6月末まで、十和田高原地区の国有林への入林を禁止しています。対象は大平・田代平・熊取平・戸倉・大清水の5地区。看板を34か所、バリケードを11か所に置き、市道2路線を通行止めにします。過去10年の人身事故がすべてタケノコ採りの時期に起きていて、ほかの時期には確認されていない——というのが、期間を6月末までとしている理由です。
このサイトには、鹿角市の出没記録が1,568件あります(2022年4月〜2026年9月)。事件の現場だった十和田大湯の一帯では、いま入林が禁じられている5地区の周辺だけでも29件が記録されています。
2016年の事故そのものは、このデータベースには入っていません。記録が始まるのは2022年4月からです。それでも、あのとき人が亡くなった地名が、いまも毎年のように出没の記録に出てきます。危ない町がある、という話ではありません。危ない時期と場所が、はっきり分かっている、という話です。
脚色していません。日付・時刻・場所・年齢・経過は、いずれも下の出典で確認できる範囲だけを書いています。記録に残っていない人物の心情は書いていません。亡くなった方とご遺族に配慮して氏名は伏せていますが、ご遺体が食べられていた事実は、事故の重大さがどう判断されたかに関わるため、伏せずに書いています。加害した個体が1頭だったのか複数だったのかは特定されておらず、断定を避けています。画像はAIが作成したイメージで、実際の現場やクマを撮影したものではありません。